VirtualとReal

RealityそのものがすでにVirtualなモノにと変容しているのが現代の様相である..というようなことを言っているテクストが最近目につく。 私見というか、うろ覚えで言うならこういう言説をほうぼうの評論などで読むようになったのはオウム真理教のテロ事件についての考察が一通り落ち着いて、時事問題としてではなくそれを語ることが容認されはじめた頃からだったように思う。

率直に言えば、そういう哲学的思想的考察を置いておいたとしても、所詮人間は自分の認識の中にあるものしか見ないものであり、あらかじめ経験して自分の中で整理がついているものか、それと同列に扱うことに違和感を覚えない程度のよく似通ったもの以外はたとえ現実に起こっていることでもそれを認識しない。 それ以外のことは例えばそれがFactであってもRealではないわけだ。
RealtyはつまりもともとFactとは結びつきがないという意味ではVirtualであるとはいえないまでも不確かなものだとは言える。

VirtualということばはRealとの対語として触れられる時には暗黙のうちにVirtualRealityのことを指すのだろうが、先に述べたようなことが頭の中にあるので、私はこのVirtualRealtyという言葉があまり好きではない。特に「日本のメディアアート」の世界でVirtualRealityという字句で暗黙の了解のうちに差し示されているのはテレプレゼンスにまつわる事柄であることが多く、本来はテレプレゼンスを実現するための技術要素の一つであるVRのことと全く区別しないで語られていることに違和感を覚える。VR技術そのものはテレプレゼンスとは切り離してもっとローレベルな見せ物的な使い方も考えることができるし、テレプレゼンスと切り離してローカルでのパーセプションの一つの手法として考えれば回線速度だの帯域幅だのといったことを無視して、いかに効果的に純粋な大権を被験者に与えることが可能か。。という点だけに絞り込んで組み立てることが可能だ。

(以下。投げ出します) またかよ。 >俺

One Comment

  1. dannna_o より:

    んーむ。
    哲学的思想的というのは言い過ぎだな。
    こんなもの哲学的でも思想的でもなんでもないや。

    と。ツッコまれる前にツッコんでみるテスト。(謎)

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