写真のオリジナリティとか先行者の著作権が後発の者の発表に対して優位にあるかとかそういうことは裁判の裁定に任せるとしても、写真には表現のほかに recordとか tele-presence としての側面もあるから、もしも丸田氏の要求が認められて小林氏の写真集の流通が差し止められたりすると、後の研究者や廃墟ファン(謎)は問題の廃墟物件のカラー写真を見ることができないという結果を呼ぶことになる。なぜなら丸田氏の写真はセピアトーンに変換されているからカラー情報を失ってしまっている。個人的にはその一点だけを取り上げてももう全然別の表現と思うけれども判断する立場ではないのでそれを声高にいうつもりはないんだけど、もしも先発主義で小林氏の作品を退けるのであれば、丸田氏の原盤がもしカラーならば、調色前のフルカラーの写真も資料的な意味で何らかの形で提供することを考えてもいいだろう。というか、訴訟に訴えるならそれは義務でもあるのではないかと思う。

写真は作家の表現であるにとどまらず、同世代から未来に向けて世界を生きる個々の人間の共有財産目録でもあるのだから。

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