タグ付けやマージの作業のために過去にアップした写真の「写真だけ」のビューでのページを見ているのだけれども、何となく落ち着かない。表現をものしているという意識はないのだけれども、考えている事をスポンとそのまま出すという意味ではやはり言葉はあった方がいい。言葉で考えて写真で答えているのだからだろうか。

言葉を必要としない写真というのはあるだろうが、もしも何らかの言葉が必要ならそれは評論家やレビュアーが添えるものではなく、自分の写真に寄り添うべき言葉は自分で書くべきだとそう思う。

言葉を必要としない写真という事で思い出すのはDuane Michals。
彼のシークエンスの作品の中でもとりわけ "Chance Meeting" [Link] には一切の説明が必要ないし、何の言葉もない。単写真ではないという点で狭量な写真の枠組みからはみ出している部分はあるが、イメージで何が語れるかという見方に立てば、果たして写真を使わずにこれを言葉で書けるかということを考えれば正に写真の特質が鋭く現れた作品であると思う。学生の頃初めて買ったPhoto pocheシリーズのDuane Michalsの刊の冒頭に収録されているこの作品が俺はとても好きで、これを初めて見た瞬間からやられているし、写真が好きになって、俺はこれとは違うことをやろうとシンプルに思った。まぁそれは余談。
言葉を必要としない写真作品として際立った特徴を持つ作家である彼が、写真に言葉を書く作家である事も面白いなとは思う。

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