「ロシアは軽自動車を…」の下り、最近見たBBCのTopGear という自動車番組の中で、ゲストとして招かれたデザイナーと、司会のジェレミーとが、「プリウスはエコじゃない」なんて会話をしていた。番組で「これこそがエコカー」と一致していたのは、たしかマセラティの宝石みたいなクーペ。高馬力だけれど、まじめにアクセル踏んだら、たぶんリッター5kmも行かないような車。

* 数千万円もするマセラッティのクーペは、排気量も巨大で、燃費も極悪だろうけれど、そんなにアクセル踏まなくても、乗っているだけで幸福感がある
* マセラティはおまけに、小さな工場で、職人が群がって、高価な車を少量作るから、車1台分の資源で、多くの人が、そこから幸福というか、賃金を得られる
* マセラティの車は、買った瞬間博物館入りするような稀少品だから、そもそも乗らないし、乗らないから壊れない。古くなってもかっこいいから、10年後でも、20年後でも、持っている人は、そこから幸福を得られる

* プリウスは逆に、技術的にははるか先を行っている車だけれど、作るのに稀少金属、具体的にはニッケルが大量に必要で、その割に、価格がぎりぎりまで抑えられていて、生産にかかわる人手も、合理化されて削られている
* あの車はだから、技術的には優れていても、車が1台作られることによって、生み出される幸福量、工場の人が得られる賃金みたいなものは、マセラッティ1台よりも少ない。裏を返せば、燃費が悪い
* 燃費はすばらしくいいプリウスだけれど、プリウスは技術の固まりであるがゆえに、走らせないと、幸福感が得られない。幸福感を得るためには、ガソリンを消費しないといけない
* 測定も、比較もできないけれど、プリウスを買った人が幸福感を得るのに必要なガソリン量と、マセラッティのそれとは、どっちが多いのか、案外分からない
* プリウスの幸福感は、技術それ自体から発生するから、時代とともに陳腐化してしまう。新しいバージョンのプリウスが発売されたら、ユーザーはもしかしたら、買い換えないと、その車からの幸福感は、継続して得られないかもしれない

http://d.hatena.ne.jp/zariganitosh/20090706/1246870473 のコメント欄への投稿からの抜粋。tumblr経由で

別にハイブリッドを叩く意図はないけど、実際問題としてプリスやインサイトのシステムをどんなにパッケージを詰めていってもいまの軽自動車の大きさに収まるとは思えない。また、純粋EVにしてしまえばパッケージは楽であるとしても山間部の農道の隅々までEVの充電設備を万が一のときのために設置できるかというとそれも現実的とは思えない。仮に石油が枯渇するものであるとして、また仮に自動車の排出ガスに含まれる二酸化炭素が地球温暖化の要因になっているとするなら(その前提として地球が温暖化しているものとして...)次世代の動力源として電気自動車や電気を使ったパワープラントの研究は継続すべきなのだろうけど、それ以前の問題として既存のガソリンエンジンのモジュールの統一による生産コストや部品の流通コストの削減とメンテナンス拠点の強化充実を、短期的に政策として行なう意味はあるんじゃないじゃなと思う。気筒容積300から400ccの間が一番レシプロエンジンとして効率がいいっていうのは他ならぬプリウスやインサイトで証明されたこと(ミラーサイクルなどの特殊な条件は付帯しているけど)でもあるんだから、とりあえず軽自動車の三気筒エンジンは排気量を現行の660ccの制限を撤廃して1000ccまで認めるものとし、四気筒は1200から1600ccの間とし、6気筒は1800から2400cc...って考えていくとちゃんと機械の発達史としてそういう風になっているじゃないか。というだけの話。
エンジン屋さんは昔からちゃんと真面目に厳しい世界でシノギを削ってきている。何も勉強しないでガソリンエンジンを敵視する向きは少しその辺のことも考えた方がいいのではないか。6気筒3000cc鋳鉄ブロックAT...なんてものと現代の車を同列に比較しての話はそろそろ終わりにすべき。

来週久しぶりにbusy号出動なのでそのメンテもしなければ。

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