サービスというのは神に代わってサーヴすること。キリスト者の神が自らの肉を切って旅人に与えるとその肉がパンに血がワインに変わった..という話(うろ覚え)から起こった言葉だと思っている。サービスをするという事はだから神に代わってそれを行なうという事であり、ただしサービスの対価として「銭」を受けるのがサービス業であると。諸先輩方からそう教わり習った。

まぁ吉本ばなな祭りの言い回しとかいろいろつっこみたいところもあるし、現につっこまれている内容もそれなりに真っ当だなと思うけれども。ただサービスという事そのものがレイヤーとして「業」とは別の「行為」として本来成立するべきものだとするならば、果たして吉本某とその取り巻きのご歴々は銭を落とす「客」としてよりも下層のレイヤーできちんと「旅人」ないしは「訪問者」であったのかなという疑問は残る。そこで彼らがどういう言い回しで扉を叩き「なにがしを望む」と言ったのかがわからなければそれは本来第三者がジャッジを下すべき事ではないだろう。大手外食チェーンがどうのこうのという話に進む事自体が彼女の口車に一応は乗っているという事であるように、いまは思える。

翻って。写真屋というのは写真を必要とする立場で困っているヒトに写真を、ないしは写真術のもたらすなにがしかを提供するというサービスをする立場である。その見返りにお代を頂き口を糊している。神が旅人を見て彼らに与えるべきものを見いだしたときに値するだけの細心さと深い洞察力をもってそれにあたっているか。そこがサービス業に携わる我々がこの話から受け取るべき事柄であるような気がするな。何しろ神というのは七日で世界を完成させてしまうような凄いヒトなのだから。
ヒトじゃないのか。(謎)

お客様は神様です、と誰かが言ったらしいけど。ホントはお客様の前に立ったら俺たちが神の代理としてきっちり世界を作り上げなきゃならないんだよ。どんなにめんどくさくとも。それがプロだろう。

寝間酢。

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