もし大多数の人間が富士山のようなところで生まれ学び考えていたとしたら、消失点のあるところが水平線でそれが「彼方」だ..なんていう発想は生まれなかったと思う。

山頂のほうを向けて撮ると背景は全部岩肌か空だし、麓のほうを向ければ背景は空しかなく全く距離感は消失し書割りのようにしかみえない。もっとも「麓」という方角の概念も怪しくなるんだけど。以前これに似たシチュエーションをどこかで見たと思って考えたら、四国に旅した時に祖谷谷の山の上の家を写真に収めた時に感じた「彼我」の感覚がそれだった。遠近はなく彼我。自分が見ている方向が彼であって、立っている場所ではなく見ている自分がいるという事が我。

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