Übungsplatz〔練習場〕で触れられている会田誠による言葉の見出しとしての抜粋を以下に引くと
■空にレンズを向けた時点で写真は終わってると断言しておこう。(by 会田誠)
「風景の光学的記録におけるイコン化の確率に関する研究」より
なのだそうだ。会田誠という作家がどのようなことをやってどのような考えを持っているのかよく理解していないのでここで言われていることに深く突っ込む気はないのだけれども、「空にレンズを向けた時点で」という言い方に何となく違和感を感じてしばらく考えていた。
たどり着いた結論は。「それにレンズを向けた」という行為をしたとしてもそれは空の写真を撮ったってことではないって云うことかな。画家は「空」を描くことができるけれども、写真家が空にレンズを向けてレリーズを押したところで、そこに写っているものはただの「それ」でしかない。ジョンレノンじゃないけれども、それはただのそれでしかない。
写真とはそういうものだし、写真の神様がくれる最初のキスは「それはそれでしかない」って云うことを自分が撮ったり、あるいはたまたま目にした一枚の写真から感じ取ることができたときにほっぺにくれるそれだってことだろうと思う。この女神様は気まぐれでやたらとキッスはくれるけれども、もう一度キスしてほしくて一生懸命写真を撮ることに血道を上げてもなかなか振り向いてくれない。やがて、技量が身に付いて「それはそれでしかない。じゃぁソレっていったいなんだろう?」という問いを観るものの心に自然と投げかける程度の写真をある程度確実に撮って編むことができるくらいになるととりあえず、彼女をエスコートする機会はたまに回ってくるようになって世間からは「彼は写真家だ」と認知されるようになるんだけど。
困ったことにこの神様はそれくらいじゃなかなかヤラセてはくれないわけで。(笑)
写真って何ですかという問いを某所から投げかけられていて、その答えは俺にとってはまぁこういうことなんだけど、まさかこれを本サイトの記事にはできないと思うのでとりあえずここに書いておいて、あとでもう少しマシな答えを書いて送りますのでもう少しお待ちください。 >誰となく
会田誠は、どうせたいした事考えてないですよ。
飯沢耕太郎も同じようなことを行ってました。[雲の写真撮ってもしょうがない]的な事を。会田誠が撮った写真を雑誌で見た事があります。「なぜだかわからないけれど自分にとって最高の写真だ」みたいな事言ってて、その写真は要するに佐内正史的な価値観や文脈にきれいにおさまる写真でした。わかりやすすぎ。あたりまえのことだけど、写真家じゃない人間には良い写真は撮れませんし、画家じゃない人間には良い絵は描けません。今こそ、こういう反動的な事をはっきり言うべきだと思います。
んーむ。あまり反動には興味がないのでスルーしてみたり。
つーか。そもそも反動が成立するための前提条件としての「体制」は
まだ生まれていないように思っています。写真とか写真評論に関しては。
「よい写真」とかもあまり考えたことがないし、写真界の発展に貢献
したり寄与したりする趣味もないのです。
「風景の光学的記録におけるイコン化の確率に関する研究」ってやつを
読んでいないのに引いてきたから話が錯綜しているのでしょう。
それについてはごめんなさいするしかないと思います。