2007年12月25日

あまりヒトに話をしたことはないのだが、どうやら俺は創価学会員であるらしいのだ。

顛末はこうだ。むかしお袋が結婚していまの土地に所帯を持った頃、近くに熱心な創価学会の信者がいて毎日のようにおふくろに教義の素晴らしさをといてそれに加わるように勧めて来たのだそうだ。しかしおふくろは自分の信念すなわち自分の信仰というヒトで、あらゆるものに対する畏れ敬いをもって自分の身を律するをもっとうとしていたのでそれには耳を貸さなかった。(もちろん邪険にもしなかった)で、説伏できないのに業を煮やしたそのヒトは当時ようやく言葉を覚え始めた頃だったうちの長兄に向かって「あなたはかわいそうな子ね。お母さんが神様を信じないから神様の恵みを受けられないなんて」と会うたびに言いつのるようになったそうな。これにはさすがに困ったらしく、その人を子供たちから遠ざけるため、だけれども相手の信仰を傷つけたくはないということで、思案した結果おふくろは創価学会の名簿に名を連ねることになったそうな。そしてそのひとは満足してうちには近づかなくなり、うちの兄弟とおふくろの名は学会の名簿に載ることになった。

この話を聞いたのはなぜ俺のところしつこく「集会になぜでないか?」と言って学会の青年部のものが訪ねてくるのかという話をおふくろとしたときだからたしか13歳になった頃だったかと思う。それで納得はいったのだけれども、だからといってそこで短絡的に学会のほうに引き寄せられることもなく(一応未成年だったので親が対応していた)月日は過ぎ、やがて父が病院で自決して亡くなり、それが落ち着いた頃に俺は20歳に達した。そんな頃、学会の地区のちょっと偉いヒトらしき若者(といっても30歳くらいだったと思う)を伴っていつもの青年部の男が現れ話がしたいといって来た。
いつものようにおふくろが応対に出たのだが、すぐに「お前ちょっときなさい」と呼ばれ、「お前も成人になったのだからお前がお相手なさい」と言われた。正直面倒だなとは思ったが断る理由もなかったので玄関先に立ち話で悪いなとは思ったが、お互いの立場から言って家に上げるわけにはいかないのでとりあえずはお茶を出してもらいそれをふるまい、玄関先でその青年部の幹部とおぼしき大人と都合二時間ばかりかけて、世界観や政治的なこと、信仰やヒトの生き方のことなど漠然とではあるが思っていることをやり取りした。
時間が流れ、やがて話が一段落したところでその男がゆっくり立ち上がり言った言葉は「あなたには信仰があるので宗教は必要ないようです。失礼いたしました」と。そして彼は辞して去り、うちには二度と青年部から誘いが来ることはなかった。

哲学的な言葉だったので未だによく覚えている。
信仰があるヒトには宗教は必要ないものであるらしい。

Posted by dannna_o at 2007年12月25日 13:02 | トラックバック
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