正統とか王道とか言い出すともはやモダンとかコンテンポラリーでなくてもいいような気もする。(謎)
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土ぼこり避けるために周囲にヒトのいない都心の不良債権物件でなんとかできないですかね。>誰となく
ベランダ農園とか屋上農園でもいいし。それすらできない環境にすんでいるヒトもたくさんいるから。
東京R農園みたいな。(謎)
日記を再開する。
という言い方は少し間抜けだが、要はここに直接書くのではなくテキストエディタで書いてある程度までは推敲したり誤字脱字などを見る事くらいはしてみる事を再開するという意味でいっている。少し文体が変わるのかもしれないがそれはまだわからない。基本バカである事は変わらない。
最近街頭で撮っている時にはいろいろ嫌な顔をされることもあったりするが、逆に完全な密室であるところの電車の中では全く問題視されないしむしろ誰もこちらが撮っているということに気付かないという経験をする事が多い。もちろんちゃんとカメラを正眼に構えて撮っている。なぜ気づかれないかと言えば、みんなiPodと携帯メールで耳目を塞いでいてなんにも注意を払っていないし、意識も外の世界に行ってしまっていてその場にいないからだ。身体だけが置き去りにされて視線にさらされている。対して、街頭で撮ると嫌な顔をされることがあるというのは、街頭を歩いている時には歩行のために最低限周囲に注意を払う必要があるから結果カメラの存在にも気づくということがあるだろう。傾向としては速度が高くて不安定な自転車とかバイクのひとは遠くからすでに気づいている事が多いように思う。
空気読まないとか、イケズとかヘタレとか、朴念仁とかいわれながらもなんとか生きている。さておき。
前に何か別のコンテクストで書いている時にも触れた覚えがあるが、iPodで耳を塞いで、ケータイで友達とつながって、あるいは自分の興味だけにつながって、出かける先も友達との約束や興味のあるイベントだけ。異物のはいる余地がない。オフは自分の好きな事だけをして、それ以外はシノギとしての仕事か家事。好きな事と嫌なことのどちらかしかなくてそれはどちらも安定している。そういう環境に皆慣れているんだろうと思う。玄関を一歩出る時から耳目を塞ぎ回りの空気もそのまま伴って外の世界を遮断した状態で次の「約束された」世界にフィジカルに移動するだけの作業として外界に存在している。路上を移動する事は体験ではなく手続きになっている。
でも本来は一歩外に出たら、それは異物の中に自分が飛び込む事だろう。外に出た時に予定外の相手に遭遇してその相手が何をしてこようがそれは決して自分の世界に相手がちん入してきた訳じゃない。どちらも路上にあり、時間と空間の流れの中で出会っている訳だ。
ほかにもいろいろなことを考える。便利に着信拒否とかブロックとかできるのが当たり前になってきているから、その延長で街頭でカメラを構えている奴らもブロックできてしかるべきだと考える向きもあって不思議ではないだろうとか。
余所の家の窓から中を覗き込んだりいきなり玄関から突っ込んで撮ろうとかそんな事はもちろん思わないしそれは明らかに倫に反すると思う。ただ道で行なわれている事を見るなとか撮るなとかいわれても正直戸惑うし、見られたくない事ならできれば道ではないところでやってほしい。そう思う。
もっとも、訳ありのことがある事も知っている。
俺がこれだけ撮り散らかしていても、たぶん俺が一日に撮ってさらしているどこぞの誰かの姿よりも監視カメラが無断で収録している撮っている俺の姿の方が圧倒的に量が多いはずだ。
ただそれも別に俺は気にしていない。監視カメラが俺に興味を持っていないことはわかっているから。監視カメラは俺に対して好意も悪意も持っていない。カメラというものはそういうものだ。俺がとるにたらない存在である以上、カメラは俺に対してつねに無害だ。カメラを避ける人たちはたぶん誰かが自分に対して興味を持ってしかるべきであると思っているか、あるいはヒトがヒトに対して興味を持つのは当然であると信じているかなのだろう。実際には都会では、よほどの力を持ったヒトでない限り通りすがりにヒトの注意をひくことは難しい。
フードマイレージとか食料自給とかあるいは派遣切り以後の失業対策とかつらつら考えていたところ、失業者を農村の労働力として振り向けるのではなく都市の遊休地を耕地にして、それこそ市民農園に毛が生えたレベルででも農作物を作るように政策でしむけたらいいんじゃないかと思った。そんなところでふとtumblrを眺めたら、アヴァンガーデニングの話がちょうど流れてきた。たぶん同じことを考えるヒトがいるんだろうなぁと。
てか。俺なんかの子供の頃はフツーにみんな文化住宅の前の空き地や井戸端でなすとかきゅうりとかカボチャとか作って食べてた。老母@徒歩10分の本家筋の小作だった中島さんのところは未だに我が区の最後の生産農家として5aくらいだけど野菜を作っている。
無人駐車場なんかこれ以上増やしても仕方がないから、公営かあるいは政策的な補助をつけて市民農園を増やしたらいいんじゃないのか。既存の公営施設は順番待ちで当分使えないという話だし。
yebizoの納品ファイルに収録したインデックスページの修正をしていた。
といっても。やった事は木村太陽氏の夢日記のVRをサムネールとして埋め込んだ事と、各パートのヘッドラインにトップのナビゲーション(まちょっと)へのバックリンクをつけた事くらいだ。これらの事は本来あと付けではなくテンプレートとして作っておくべきレベルのところでそれを納品したあとから修正しているというのは恥ずかしい話。写真屋の業務からはややはみ出しているもののあれば便利だから添付しているのだからちゃんとしたものを準備しておかなければならない。
ナビゲーションを画像にして目立たせる方法でのデザインにすれば楽で可用性は高いのだけれども、使っている画像が一個行方不明になったら崩れるようでは意味がないと考え、全部テキストデータとCSSでやろうとしているので自分にはやや荷が重い。フツーに画像を使ったものも作って比較検討すべきなんだろうなぁ。
そんな事でまた徹夜してしまった。昼くらいまで寝るか。
仕事では時間の許す範囲で完璧なものを目指すべきだけれども、自分の制作ではまずプロトタイプをすぐに作る事。手を付けなければイメージも広がらないしひとにも伝わらない。(ただし、ヒトに見せるのはある程度のレベルまでいってから)
当たり前の事だけどここに書いておく。自戒のために。
iTunes。
iTunes8になって iTunesDJという名前になってからすごくださくなった。Ver7のときのPartyシャッフル(スペル不詳)のほうがもっと自然にコードとかbpmとかを拾ってうまく選曲してくれて「お。これか」と思う時が結構あったけど、8になってからは同じアーティストのアルバムがベタで並んだりする事が多く、その頻度の調節もできない。(記憶に間違いがなければVer7ではできたような気がする)
iPhoneとか使っていないならばVer7のまんまの方がいいような気がする。なんか実利があるんだろうか。
写真新世紀にTumblrをそのまま(リンクだけ)かビュワーをつけてCDで送れないかと思って。
* 本コンテストを目的とした未発表・未公開のオリジナル作品に限ります。他のコンテストに応募した作品の応募など二重応募は禁止します。 * 応募者は応募作品の著作権を完全に保有し、応募作品に使用される美術・映画・写真・肖像などについては原著作者/被写体から事前の承認を得ていることが必要です。 * 応募者1人または1組につき1作品までの応募とします。尚、作品形態、点数等の制限はありません。ただし、デジタルデータでの作品応募は受け付けておりません。 キヤノン:写真新世紀|応募案内|応募要項
全部の応募条件を外れてた。 旧世紀じゃん。
tumblrに昔読んだブラジルさんのpostが流れてきたのでここにも貼っておく。
写真新世紀。俺も実は同じようなことを考えたことがあって調べたらやはりデータとかwebのリンクとかではダメだということが判って止めた。当時たしかギリギリで年齢制限はクリアしていたような覚えがある。
もちろん応募フォーマットにあわせて作品をまとめあげるスキルも評価されるべきとは思うけれども、紙なり本なりでまとめるには最低でもひと月はかかる。その間撮影活動が停まる事は免れ得ない。写真作家って生ものだからそれはないだろうと思う。エスクワイアのデジタル写真賞でさえ応募形態は「紙出力」だったんだよな。最後は知らんけど。一度出したことがあって、その時は紙出力をただ束にしたものとCD-Rを二枚に半月分の街頭スナップのデータをつけて送った。その時の選者の講評に「今回勘違いをしていたヒトがいたけど」と書いてあったのはたぶん俺の事だと思うけど、勘違いしているんじゃなくて公募というもののシステムや性格については一応理解しているつもり。ただそれに従うつもりはまるでないだけで。
作家として認められるために公募やギャラリーに見せるためのフィニッシュワークに疲弊して消えてしまう芽も少なくはないはず。(ただビジネスとして作家を育てるのであればフォーマットに期限までにあわせられない作家は対象外なのは前提)
隣の工場で溶接やってなかったっけ?
ずっと昔に遊びにいった時に中でアークの火花が飛んでいるのを見てよくこんなとこでコンピュータ使っているなと思ったようなおぼろげな記憶が...
ま。空耳でしょう。(謎)
ようやく秋葉館のサポートセンター宛に問題のでたケースを返送した。ただし。
昨日買ってきた新しいWDの WD10EADS を組み込んでRAIDのテストをしようとした時に、例によって一度ほかの機器でパーテーションマップを書き込んでから組み込んで初期化したものの、RAIDとして構成されていないようで片方のドライブを外してもう一台の別のドライブを取り付けても再構成が始まったところでこけてしまう。んーむ。
結論はサポートの見解待ちにすべきだが。どうやらこの裸族の二世帯住宅というケースとWD10EADSドライブの間にはコントローラの相性問題があるような気がする。再構成でもダメという事はMacさんや接続系の問題じゃないだろう。
ちなみに書き込んだデータはそれぞれのドライブを単独で別の機器につなぐと二台のドライブともフツーに読める。つまりRAIDになっていない。(だめじゃん)
しばらくテストは中止。っていうか...ドライブかケースかどちらかを諦めることになるなこりゃ。ウツだよ。