Archive for 2009年6月27日

ファラフォーセットのためにも祈りたい。

今日あたりMJと書くとジャイケルマクソンのことに聞こえるかもしれないけれどもうちではメインジェットの意味。

ざっと書いておくとまず#100は論外に濃い。カブるくらい。(当たり前)#90は安定するけど伸びが悪い。#85はちょっと薄いような症状が出ているけれども、問題はMJではなくてSJかもしれない。その他、ベンチュリー径が1ミリとはいえ大きくなったことや、同時にハイフロータイプのフィルターに交換していることなどもわかりにくくしている要因かもしれない。まぁいずれにせよ#68とか#78の時のような明らかに異常な燃焼音からは解放されているので今日の作業は無駄ではなかったということにしておこう。あと#100は濃いということがわかっただけでも。

いやー。カメラでもそうだけど、ノーマルってよくできているわ。(謎)

あと言っとくと。

俺は別にケーサツの中のヒトでも何でもないけど。今回の改正の主眼は

どう見てもバイクにしか見えないものにノーヘルで堂々と乗られちゃこまる。

という一点につきると思う。そらそうだろう。例えばこのひげ面のおっさんがうちの白馬号に「ミニカーだからノーヘルで合法」って言って乗ってても客観視すればノーヘルでバイクに乗ってるおっさんにしか見えないし、その辺の小僧たちが「あんな立派な紳士でもノーヘルでバイクに乗っているのに僕たちがノーヘルで乗ったとしても何の問題があるのでございましょうか」と思ってもそれにツッコミ入れられんわな。
まぁその辺のけじめは法律云々を論議する前にきちんと付けといた方がいいでしょう。そうでないといずれトレッドに関係なく車体が傾斜するのはダメとかそういうことに必ずなるし。はっきり言っていまトレッドで除外規定があるのはホンダの出荷してるジャイロとか昔からミツオカなんかに乗っている人に配慮した結果に過ぎないだろう。

まぁ若い子は知らないだろうけど昔は原付一種ってヘルメット要らなかったのよ。だって想定しているものが赤カブ号とか今でいうtomosみたいなもんだったから。
自転車の法整備とかレーンの創設も含め、エコを口実でも何でもいいからきちんと合理的な車両とか交通システムのデザインとそれに関わる法整備をいまやっておくべきだと思うよ。個人的には三輪だろうと二輪だろうと普通免許で125ccまでは乗れるようにしてその代わり普通免許取得時にも二輪車の講習をちゃんとやって、 25歳以下  免許取得後二年以内は70CCまでに制限するとか馬力制限するとかそういう風にする方が合理的だと思う。どう考えてもジャイロキャノピーを49ccで走らせてしかもそれを自転車にすらまともに乗れない高校生がいきなり路上に出ることを認めているのは変だ。そう思う。だって250ccのスクータよりも重くてリッターバイクよりでかいんだよ。(謎)

「普通免許で黄色ナンバー」という検索語で来た人がいたけど、論ずるまでもなくそれは無理。普通免許で運転できるのは普通自動車と軽自動車、小型特殊、原動機付自転車一種。それだけのはず。道交法改正で二輪車扱いになるのなら排気量アップしている三輪はおそらく軽二輪登録ではなく原付二種の登録になるのが筋。ただ問題は財産権とか移行措置的なことや、あくまでも改正は道路交通法であり道路運送車両法や税法上のことは別儀であること。加えて、軽二輪なら陸運での管轄だし原付なら区役所の登録になることや、そもそも49ccを超える三輪車は「法」で想定されていないから(なぜなら基本的に我が国は自動車メーカー以外のものが自動車を作ることを認めていない)いままでも定義はないから現場判断でそういうことになってきたにすぎないということも認識しておいた方がいい。

警察や役所が何というかはそれぞれの管轄でも違うと思うので調べるしかないけど、筋からいえばいま軽二輪で登録されているものは、トレッドが460ミリを超えていない限り今後は二輪車と見なされる方向に行くだろうから、幾ばくかの移行措置期間を経て登録変更や運転を許される免許を取得することなどが義務づけられていくものと推測はできる。その辺りが財産権との整合をとる上では実務的な解だろう。

いずれにせよそれは検索するよりも役所とか警察に問い合わせした方がいいと思うよ。俺は。

今日はMJを#90に上げる予定。

ヒトとしての肉体に差異はさほどないはずなのに人間ってやはり違いが出るもんなんだな。

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アーバスのあの写真を見ているとからずアタマに浮かぶこの双子はその後どんな人生を歩んだんだろう..という疑問の答えがtumblrに流れてきたので、転載しておく。

まぁ撮影された時代と年齢を考えれば不思議はないんだけど生きていてしかもこうしておそらくはデジタル写真のなかに並んで収まっていることがちょっとした驚きというか違和感として感じられる。

dashboadにfollowerとかが見えるのはユーザ自身にしか見えないから別に気にならないんだけど、mixiのように誰とつながりがあるかが第三者にわかるシステムを見ているとなんかバッヂコレクションというかネームドロッピングを推奨しているようにすら見えて好きになれない。その辺りがあそこから足を洗った理由の一つでもあるかな。まぁ紹介とかつながりをたどっていくというコンセプトだからあぁいう設計もやむを得ないことは理解できる。
tumblrの表ページにFollower/Followingが見えるようにしているヒトもいるけどまぁギークなヒトたちの技術的な試みとしてやっているんだなと理解はしているものの読み込みも重い時があるし個人的にはあまり歓迎はしていない。
もちろん自由ではあるけど。

mixi をやっているときによく「誰彼さんのご紹介なら間違いないからいいでしょう」みたいなこともあって、それもちょっと苦手だった。そういう信頼の仕方もあるのかと思って。んーむ。あれは未だに理解できない。ちょっとうまく言葉にならないけれども。