Archive for 2009年7月8日

この間某居酒屋で某女子の手をとって語りかけていたらいつものフロアのオネェさんからバシンと叩き付けるように伝票挟みを渡されたがあれはサカモさん流に言うところの「注意したかったのだがガマンした」というやつだったのだろうか。
まぁ薄暗いバーならともかくまぶしいほど明るい蛍光灯の飲み屋でやることじゃないな。反省しよう。

英語ではこういう場合。

Get a room!

と言って追い出されるらしい。
まめ知識として。(ばか)

最近では名刺交換した相手が名前検索でここにたどり着くことも多く、紫の上計画においてもまた営業上の理由からもここにあまりバカで下品なことは書かない方が得策なんだけどつい書いちゃうんだよね。あーあ。

最近炊事が中途半端でゴミの片付けがあまいせいとあと季節も手伝ってか油虫。。というか太郎さん。。というかまぁ有り体に言ってゴキブリが結構発生している。

実際そんなに虫とか気にしない方なんだけど、チョンガーに虫が湧くとか言われるのも癪なので家にあった「コンバット」というやつを設置してみた。これはどうも遅効性の毒らしく、その場で死ぬんじゃなくて巣に戻って何日か経ってからお亡くなりになり、その間にその個体が排泄したフンを食べた別の個体も同じくお亡くなりになるという「まぁ夢のようだわ!」というべき代物なのであるが。厄介なのはじんわり利く毒なのでいつどこでゴキブリさんが死ぬかわからないということと、なにぶん少しずつ弱ってくるので。

奴らは夜行性だから、電気が消えて暗くなると「うぅぅ。。なんかだるいけどともかく今のうちに餌をあさらなきゃ」といって夜の間や留守中にはい出してくるわけですわ。するとですね。
ほろ酔い気分で帰ってきて灯りを点けると目の前の玄関でどでかいゴキブリが3匹くらいひっくり返って足をバタバタさせているとか..朝起きてしばらく瞑想して「さて今日もガンバルヲ」とか思ってベッドからおりようとすると足下で巨大なゴキブリがのたうち回っているとか...
気分はすっかり「呪われた館」というか。もう台無しなカンジ。

当分続くんだろうなぁ。。ウツだよ。

どうも「一澤信太郎 評判」という検索で来る人が定期的にいるけれどもIPをみる限りでは狭い範囲のヒトたちがそういう検索語での足跡をつけることでそれが話題というか興味の対象になっているかのように検索エンジンの返す結果をいじろうとしている、ということのような気がしてきた。

大きな身代のあるところはいろいろ大変やね。おおこわ。

画像アップロード先のディレクトリが変更になった関係で表示されなくなっているポストのパスをしこしこ直している。

俺結構単純な機械的作業とか得意で。昔バイトで納品代行の倉庫で働いていた時には10時くらいに取りまとめて送られてくるFAXの内容に合わせてL-500・3本パックを426個にT-120・5本パックを302個...とか手作業でパックして箱に積めるとか全然苦じゃなかったんだけど、パスを直すために延々コピペとかは嫌だな。ビデオテープにフィルムをかけてパック商品にするのは機械的に見えてぴしっと揃えるにもまたあるいは時間までに終えるために段取りを組み立てる上でも実は機械ではできない点が山ほどあるのが理解できるからガマンできる。だけどwpのポストの中の特定条件のエントリーの決まった形式のパスの書き換えなんて、スクリプトがかけるスキルがあるならば当然それを書いて処理すべき事柄だ。書くのに何回か失敗して結果的に処理に時間がかかったとしても機械でできることは人間がするべきではない。そう思う。

しこしこやるよ。仕方がないから。根気のある真面目な性格だからな。(謎)

それ乗らなくてもいいエレベータに乗った時点で注意する気満々というか殴る気満々だったようにしか聞こえないんですが。>誰となく

おととい新宿に行ってヨドバシでPhotoshop Ver.11を買ってきて昨日インストールした。Extended じゃない方。

試用を通じてやはりUBになっていることでCS2をiMacCore2duoで走らせるよりも軽い場合が多い点とマスク関係のユーザビリティがあがっていると感じたことがアップグレードの決め手。個人的にはフォトマージとかはどうでもいい。どうせ使わないから。

帰りに例によってゴールデン街のtomorrowに行き月曜日のバーテンダァのしぃさんと話しながらクゥエルボを3杯ロックで飲んで終電で帰宅。(なんちゃって)競技水泳つながりというなかなかコアな話題などしつつ、楽しんでいる。

今日も他者として扱ってくれる場所でゼロでないことをする。それだけ。

まず他者を尊重しないものが、友達や伴侶と助けあえるわけがない。

他者を尊重するというのは何も他者のすべてを肯定するということではなく、「あのヒトは私とは別」という言葉を拒絶の意味ではなく許容の意味で使うことである。そう思う。

日の出。厚い雲。涼しい風。

友達というのは世間的な意味でとらえれば定期的に親交のある他者だし、夫婦というのは共に暮らしてメイティングする他者。親子というのは血を分けたというかDNAの半分を共通する他者ということ。そして他人というのは特別な関係を持たない他者であり、敵というのは利害の上で立場を分つ他者だ。

それ以上のことはどれにも何もない。

まぁ「友達は大切にしなさい」と教えられて育ったヒトばかりで今や教える側もあるいは白髪の老人でさえそう思っているこの国では「あいつは友達ではない」と宣言しさえすれば切り捨て放題だからな。無理もない。

「他者を尊重しなさい」「他人の言うことには耳を傾けなさい」「まれびとをあがめなさい」とはもう誰も言わない。

ただ誰とでもつきあうということにしたとしても、その場に出てこないヒトとはなかなかコンタクトの機会がない。だからあてはなくともとりあえずヒトの集まる場所には足を運んでみることは大事だ。あるいは隔絶感を味わうことになるかもしれないが、ゼロよりはましだ。

そしてそういうヒトを見かけたら、ゼロで帰さないようにすること。それが人寄せを試みる上での最低限での担保すべきことではあると思う。最初から器用に立ち回れるヒトなどいないから。

ただ溺れかかっているヒトに中途半端に手を差し伸べると思いっきりしがみついてくることがままある。そこが難しい。

つまり。気に喰わない人間とは一切つきあわないというその不特定多数に向けて放たれた悪意が、よくわからないブラックボックスの中で何かに反射して自分たちの身に降り掛かって大勢殺されているんだと、そういうように考えておくのがいいのだろうと思う。お友達としか仲良くしない。そう考えるヒトは皆それに加担している。

始発。

ヒトは正常なら孤独でいられる。

でも隔絶されると頭がおかしくなる。

ヒトは繁殖のため以外には群れる必要のない生き物だと思う。でも隔絶されてはいけない。隔絶されるのではないかという漠然とした恐怖が群れと馴れ合いを生み、本来あるべきヒトの力を削いでいるように見える時がままある。