うわー。
デスクトップいろいろ/デスクトップ待避/ 以下に デスクトップにあった雑多な細々 という名前のフォルダが...(バカ)
Archive for 2009年8月25日
あー。
整理していて思い出したけど俺ひょっとするとiBookG4にしかないファイルがあったかも。iBookG4の内蔵HDDのディスクイメージもどこかにあるはずだけどどこかにあるだけでどこにあるのか不詳。相変わらずダメポ。まぁいいか。毎日探せば来月くらいには見つかるに違いない。
1TBのなんちゃってRAIDがあと2GBというやばい状態になっていたので(バカ)そそくさと整理中。なんだかんだと他人のデータが100GBくらいあった。全部捨てるからね。
かつてはだいたい10%くらいの空き容量で交換するようにしていたんだけどRAIDにしたボリュームに関しては満杯で交換というよりは古いものから順次アーカイブ用のディスクに移動させていくというカタチにすべきなので、そのために整理したり、利用できるカタチに作り直したりとかそういう作業がてんこもりに溜まっている。考えただけでうんざりするけどさぼっていたツケを払うってだけのことだし、あのばかばかしいくらいデカイ山でも一歩一歩登ればついには頂上についたんだからそれに習ってしこしこやりましょうとも..と、なんにでも富士山を結びつけるマイブーム進行中。(謎)
50ccのシリンダーヘッドくらいならフライス盤がなくとも市販の刃物研ぎ器で面研できるんじゃないかなー。まぁオイルストーンでもそれくらいできるけど。
と。富士山が済んだらまたこれかよという辺りがあからさまな当社クオリティ。仕事汁。>俺
このあいだチャーリーさんと話したことの一部であるのだけれども。最近の映画にしろアニメにしろまぁ小説でもある意味そうなのだと感じているけれども、「プロット」がまずありきなのだと。思うに様々な作品を紹介する専門メディアが普及した過程でいわゆるネタばれを防ぐために書いていいことと書いてはいけないことを独立させるためにそれぞれが分化したのではないか。前者がプロットであり、後者がストーリーであると。
その文化が成立して以降、メディアがプロットを伝えるのを読んで育った世代がプロットを偏重したり、プロットを聞きかじっただけで作品全体やストーリーまで理解したような錯覚に陥ったりするようになり、果てには作品を見終わったあとでその難解さから理解しきれなかった時にそれはプロットを諳んじていないからだという勘違いをしてまたプロットをなぞることに逃避しやがて耽溺するようになって、そのようなことの世代間での積み重ねが今の状況を生んでいるような気が少ししている。うまく言い切れないが、最近プロットとストーリーという二つの言葉が気になっている。(完成された作品であればなおさらそれを例えば100人の人が見たとしてまず真っ当な理解に至るのはせいぜい7人くらいだろうし他人の思考を反映したものである作品を真っ当に理解したことで感動を得ることなんかないだろうと俺自身は思っている)
プロットという言葉を世界観と置き換えて、今はそれがもてはやされる時代なんだろう。でも本当の意味での世界観はプロットではなくむしろストーリーや言葉に置き換えられないディテールに宿るものであると思う。
言葉が到達できないディテールをそのまま捕捉できるからこの写真術という不便な技法をものしようと勉めている。
馬鹿の文、起こったこと、思ったことが、ただ書いてある。
起こったことを外から眺めて、つまりこういうことだ、という視点がない。
写真を撮る人も、馬鹿になろうとしたりする。
馬鹿になった人もいる。
はじめから馬鹿な人が写真を撮ると、どういうものが写るのかみたいと思った。
そして、写真は、馬鹿に向いている媒体だと思った。
キャノンって俺が学校屋をやっていた頃のレンズをまだ平気で売っているものが結構あるんだな。ペンタは善くも悪くもほとんどもう更新されたから、たぶん今比較すればレンズの能力は全然こっちのほうが上だろう。ただLレンズとかを嬉々として買ってくれるユーザーの絶対数では負けているからコストのかかる割に本数の出ない特殊レンズに関しては追随し難いところもあるだろう。キャノンでいうところのTSレンズなんかは期待薄。トキナブランドと併売して本数を稼ぐのも無理だろうし。魚眼ズームなんかは他のマウントのカメラのユーザのためにトキナ版もあるわけだが。
俺はもう30年ペンタ使ってるからこれが当たり前だけどどうなんだろうね。
検索サービスのヤフージャパン
動画共有のニコニコ動画
eコマースでは楽天
SNSのmixiやグリー
などなどどのサービスも、同じカテゴリーに米国発の世界的シェアを持つサービスが存在するが、日本がそれらに席巻されているわけではなく、国産サービスのシェアは極めて高い。
理由はいろいろあるだろう。しかし国や官僚がこれら国産サービスを保護しているわけではけっしてない。
面白いのは、いずれのサービスも日本のオリジナルではなく、海外で発明されたサービスを日本流に上手くローカライズしたサービスばかりだということ。
これは戦後の日本が海外の製品を真似て高品質の製品を作り出したことに似ている。
歴史的にもっと遡れば、製品だけなく、中国や朝鮮から輸入した文化にも同じことがいえる。
「海外の製品やサービス(そして文化)をそのまま受け入れるのではなく、上手く真似て日本流に加工して利用する」
これは日本人がもともと持つ、特質(DNA)なんだと思う。
http://japan.cnet.com/blog/vega2100/2009/08/25/entry_27024500/
というか。ここに上げられたサービスは少なからず言語的な要素を持っているものだから日本人の英語嫌いが障害となって試してみようともしないだけだろう。ebayなんかは為替の影響で安かったり日本では売られていないものがあるからという理由でその障壁を越えることがあるし、そもそもあまり言語的なことが意味を持たないyoutubeなどはちゃんと日本にも浸透している。(youtubeとニコ動はべつものだろう)
あとこれは日本人だけに限らないのかもしれないけれども、理解できないものが嫌いな人は多い。もっと言えば説明してくれるヒトがいないものを避ける人は多い。そして、理解してもいないものを説明したがるヒトも多い。