そして白馬号のほうはともかくあれのほうが、またオイル下がりでシリンダーが埋まってしまったらしくクランキングできない状態。症状は軽いけれども調査行の前後二週間くらいでこの症状が出るようではやはり改めてオイルシールを打ち換えないとダメっぽい。
頼むから壊れないでくれ俺の機械ども。
そして白馬号のほうはともかくあれのほうが、またオイル下がりでシリンダーが埋まってしまったらしくクランキングできない状態。症状は軽いけれども調査行の前後二週間くらいでこの症状が出るようではやはり改めてオイルシールを打ち換えないとダメっぽい。
頼むから壊れないでくれ俺の機械ども。
誰も覚えていないかもしれないがこのweblogはあくまでもテキストサイトであって、ここに写真を上げるようになったのはいまを去ること4年ほど前に忙しくてテキストをちゃんと書いている暇がない頃に更新が滞るのをごまかすために手もとにあったテキトーな写真をテキトーに投げるようになったのが始まりだ。
それがいまやわざわざ下らない写真を撮りにいってそれをアップすることにかまけて肝心の文章のほうは妄言クォリティ呼ばわりされながらキチガイのようなことを書き散らかしているていたらくである。
堕落した。
無防備な顔は、美しい。リラックスした顔、心を開いた顔、同じ意味だが、それは美しい。何故か。
それは、みんな、心を開いていないからだ。現代においては、みんな、防備しているのだ。
現代は巨大な自意識の時代である。かつてこれほどまで、平凡であること、凡庸であることが、全員から拒否された時代があっただろうか。かつては、どの時代でも一部の人間のみが、自分の凡庸さを嘆いた。大多数の人間は、自分が平凡であることを、何の抵抗もなく受け容れたのだ。殆どの人間が、親の職業を抵抗なく受け継ぎ、抵抗なく子供へと渡した。だが現代は違う。マスコミという巨大な自意識扇動装置は、平凡であること、凡庸であることが、罪悪であると布教する。平凡ではない可能性が、あなたの人生には溢れているのだと語り続ける。自意識とは、自分への関心のことでもある。マスコミは、いや映画も演劇も小説もマンガもそれらすべてが、あなたのあなた自身への関心を煽る。こんな人生もある、こんな生き方もある、こんな行動もある、こんなファッションもある、こんな食べ物もある、こんな仕事もある、こんな恋愛もある。それに較べて、あなたの人生のなんと平凡なことか。
そして、巨大な自意識の時代は生まれた。”— (鴻上尚史『演劇論入門ーー賢く生きる為の方法論序説』)
via:tumblr http://tyzm.tumblr.com/post/190185395