Archive for 2009年10月14日

Regina Spektors: Samson.

You are my sweetest downfall
I loved you first, I loved you first
Beneath the sheets of paper lies my truth
I have to go, I have to go
Your hair was long when we first met

Samson went back to bed
Not much hair left on his head
He ate a slice of wonder bread and went right back to bed
And history books forgot about us and the bible didn’t mention us
And the bible didn’t mention us, not even once

You are my sweetest downfall
I loved you first, I loved you first
Beneath the stars came fallin’ on our heads
But they’re just old light, they’re just old light
Your hair was long when we first met

Samson came to my bed
Told me that my hair was red
Told me I was beautiful and came into my bed
Oh I cut his hair myself one night
A pair of dull scissors in the yellow light
And he told me that I’d done alright
And kissed me ’til the mornin’ light, the mornin’ light
And he kissed me ’til the mornin’ light

Samson went back to bed
Not much hair left on his head
Ate a slice of wonderbread and went right back to bed
Oh, we couldn’t bring the columns down
Yeah we couldn’t destroy a single one
And history books forgot about us
And the bible didn’t mention us, not even once

You are my sweetest downfall
I loved you first

Tom Waits – (Looking For) The Heart of Saturday Night
http://www.youtube.com/watch?v=hiW0PmjWdxM

Tom Waits – Tom Traubert’s Blues – 1977
http://www.youtube.com/watch?v=9ZmqbcBsTAw

Tom Waits – Tom Traubert’s Blues(Waltzing Matilda)
http://www.youtube.com/watch?v=-eELOuoLB_0

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正直羽田空港をハブ化しても連絡する鉄道や道路が貧弱だからあまり意味はないと思うが。

単純にいうとハードウェアボタンをもたせた場合にはファームアップによる機能改善対応ができないってことも大きいんだけどね。フロントに常にでている機能をユーザが選べるようになれば全然評価は変わるだろうし全面タッチパネルオペレーションができればボタンの配置すら自由に選べるようになる。デバイスとしてのタッチパネルの価格はこれから下がるだろうし。

ニッシンのストロボはUSB経由でのファームアップに対応するなど先進的な部分もありそれが特徴なんだから、それを踏まえて分析しないのであれば批判にすらならないと思うけれども。(というか自分メーカー作ればいいのではと思う)あれはコンポーネントという考えで見ないと。

ただハードウェアボタンになっていたほうがいい機能ももちろんある。例えばテスト発光ボタン。F値選択や出力のアップダウンも十字キーよりはスクロールホイールのほうがいいだろう。逆に例えばスレーブでしか使わない機能とマスターのときしか使わない機能ははっきりと切換えたほうがよく、視覚的に直感でわかるようにするには液晶表示で全く別のものにしてしまったほうがいい。

あとまぁクリップオンストロボっていうのは基本的に暗闇で使うもんだってことは言っておいたほうがいいかも。結構インターフェースデザイン上では重要なことだし。

と、観念的なことばかり書いていても仕方がない。

さておき。最近東スポが一番マトモな新聞に思えるのは気のせいだろうか。

だって「現実」に意味なんてないじゃん。

機能のない建築は巨大な彫刻かさもなくば悪ふざけだが、写真には機能や意味は必要ない。

だいたい身体がぶれないように首を拘束されて白バックの前で煌煌と照らされながら10分以上の時間身動きできずに座ってるのって明らかにアブノーマル系のプレイだよな。 そう思いながら見ると昔のポートレートなんかもエロ写真に見えるのかもしれない。

と。余計な雑念をばらまいてみるテスト。(謎)

提示したものから何が伝わるのか。何が表現として現れるのかまでは作者が管理することはできない。どんな技法においてもいえることだけれども写真では特にそこのところがあやふやだ。なぜなら写真は理解していないものも収めることができるからだ。それが欠点なのか魅力なのかは個々のケースによるが。

意図のようなものがあるとすればそれと相似の意図が汲み取られるようにいろいろな体裁を整えてから提示をするのが写真における完成度を上げるという行為であり、ならば写真を突き詰めていくとメディアになったりアートになったりすることはあるだろう。
ただ写真術のもたらしたphotographというものが王侯貴族たちに熱狂的に受け入れられたのは、まずは物珍しさ。その次は得体の知れないものに対する畏怖の魅力だと思う。

表現でもなく記録でもないただ提示された無意味なもの。

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写真に撮らなければ伝わらないものはあるが、伝わった(reach)ことが理解につながるかどうかは全く別の話だ。そういう意味で写真の力は表現することというよりもむしろ提示することにとどまるのだと思っている。写真というのはそのまま投げ出した状態ではとても気味の悪いものだ。

写真の力というヒトは多いがイコンを写したものかキャプションがついた写真でないとヒトはどうコメントしたらいいのかすらわからない場合が多い。

明確に「不明な」ものであればこれは何の写真ですかと訊くこともできるが日常の風景に対してはそれすらも許されない。