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そして魚拓は虹なのである(謎)

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何を言っているんだ俺は

死と写真と太陽は権威におもねらない

というか。人間以外のものは権威にはおもねらない

写真が権威におもねらないのは、写真が人間にコントロールし切れるものではなく自然の方にむしろ近いからである。それをコントロールしようとするものが写真家であり、写真が権威におもねるのは唯一その写真をなさんとする写真家が権威におもねらんとする時である

つまり写真の敵は写真家の存在なのである

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富岡のヒトたち全てに話を聞いたわけではないが、東電を恨む気持ちを口にするヒトはなかった。もちろん、町の人口の八割方が東京電力関連事業についているという事は背景にある。事実、家族がいまも東京に転出して今回の事故の広報対応の職種に配置換えになったと言っていたヒトもあった。口止めされている例もあろうし、自ら周囲をはばかっている例もあろう

ただ、それとは別に。現地で話をいろいろうかがっているうちに、確かに本心から原子力発電所に感謝していた、原子力発電所があったおかげで町が豊かになったことを事実として受認しようとしているヒトもかなりの数いる事をしった。それは心の救済を得るために自分たちの過去の選択を肯定しているのか、あるいは本心からそう思っているのかはわからない。ヒトによるし、本人にもわからないだろう。それが本心かどうかとかそういう次元とは別にそう思っているのだ。おそらくは

あるヒトが言っていた。原発ができたからこのムラは口減らしのために一人子を養子に出す事もなく、冬の出稼ぎに出る事もなく一家が揃って暮らすことができるようになった、と。それは事実なのだろう。そしていま別の事実として、ばらばらに避難をして先行きの見えない生活を皆が強いられている。10年後、原発によって離散を免れた世代と、原発によって離散した世代が並び立つ日がくる

魚拓写真論

魚拓は秘法によって生み出された虹である それは化身のように手でつかむ事もできないが夢のような美しさがある。しかも確固とした実在性をもっている わたしはそういう魚拓を採りたい(謎)

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案内してくださった地元の方は「綺麗なところなんですよ」と言って風景を見ていた。「えぇ綺麗なところです」と応えたあと「けれども。いまこうしてならんで綺麗だといっている私の目とあなたの目で見ている風景は違うものだと思います」と続けた。「あ。なるほど」と納得なさったようであった

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國破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵萬金
白頭掻更短
渾欲不勝簪

春望

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私はそう思う