新春三日
ゴルゴ13系の荒事系の夢を見て目覚める。さておき。巷では一般意思が一般意思2.0は無理筋と結論づける中一般意思2.0の著者が「一般意思のいうことはただの悪口」と批弾するという怪現象が起きているようだが。俺は議決は現在の代議士制でよいと思う。そのかわりに、衆議院の解散が国民投票で行なえるようにするべきと思っている。なぜかといえば代議士制のいいところは「その議員をクビにすれば方向転換可能」であることだからだ。戦争で王の首をとれば国家が変わり、衆議院選挙で民主党が過半数をとれば国家が変えられるというのはシステム上は非常に都合がいい。ただ、現行制度で政治家が過剰に守られているのは、かつて憲政の時代に国家と民衆が選んだ公民選挙議員とが対立する構造だったそこで議員の身分を保証して憲政と戦わせるためのシステムだったのだから、現状の事実にあるような、議員が国民を苦しめるような状況下では、まず議員の身分をもっと不確かなものにして漫然とその座にいるもの達に、仕事をしないとクビにするぞ、と言えるように。そうするべきだと思う。
議決を機械抽出によるシステムに委ねてしまうとそれが不適当な結論をはじき出した時に代替する手段がない。その一点から、俺は議決はクビにできる代議士による間接民主制が適当だと考える
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on 2012年1月3日, 12:07 PM,
by dannna_o,
新春二日。初夢は特になし
自分で勝手に決めた今年の一字は「営」とする。これは自分的に営業の営ということも言えるけれども、被災地の復興と原子力発電所の事故の後処理を含めて国全体の経営について常に意識しながら一国民の立場から関わっていきたいという思いからそう定めるものなり。30年後くらいにそれが「営」から「栄」に変わっていればよいなぁというところ(おそらくその頃俺は生きてはいないけれども)
書き仕事の方は3月いっぱいで終わりになる雰囲気。それを能率よく進め、できれば半月くらい前に片付けて、桜のころからしばらく東北に通いたいと思っている。というわけで本日から始業いたします。どうぞ本年も改めてよろしくお願い申し上げます。(ぺこり)
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on 2012年1月2日, 7:56 AM,
by dannna_o,
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on 2012年1月1日, 1:08 PM,
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なんか幼稚園児の遠足の感想文みたいな書き方になってるな。⇓ 二つ下
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on 2011年12月27日, 1:54 AM,
by dannna_o,
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on 2011年12月25日, 7:26 PM,
by dannna_o,
書き仕事のネタ作りのために横浜に行った
夏のビアホールでしか入ったことがなかった氷川丸の船内を見学してきた。一等客室とか特等とかの設えはミニマムな居室の作り方として素人には参考になるかなとか、そんななまくらなことを考えていた
写真は撮らなかったが機関室はなかなか面白い。三菱がポルシェに売りつけた2次バランサーシャフトの原型はここにあったのかと軽く感動した
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on 2011年12月25日, 7:25 PM,
by dannna_o,
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on 2011年12月20日, 2:42 AM,
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例えば東京電力気に喰わんといって、お客様窓口に電話して「なんてことしてくれたんだ馬鹿やろう。人殺し」といったとして、その電話を受けている電話口の向こうのヒトが実は富岡を含む制限区域内の東電関連会社から出向ないしは配置換えで来て慣れない顧客対応業務にたたされている可能性はかなり高いのだという身もふたもない現実はある
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on 2011年12月18日, 4:44 PM,
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on 2011年12月11日, 5:51 PM,
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on 2011年12月11日, 5:49 PM,
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on 2011年12月11日, 5:48 PM,
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on 2011年12月11日, 5:48 PM,
by dannna_o,
死と写真と太陽は権威におもねらない
というか。人間以外のものは権威にはおもねらない
写真が権威におもねらないのは、写真が人間にコントロールし切れるものではなく自然の方にむしろ近いからである。それをコントロールしようとするものが写真家であり、写真が権威におもねるのは唯一その写真をなさんとする写真家が権威におもねらんとする時である
つまり写真の敵は写真家の存在なのである
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on 2011年12月11日, 5:47 PM,
by dannna_o,
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on 2011年12月11日, 5:43 PM,
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on 2011年12月11日, 4:18 PM,
by dannna_o,
富岡のヒトたち全てに話を聞いたわけではないが、東電を恨む気持ちを口にするヒトはなかった。もちろん、町の人口の八割方が東京電力関連事業についているという事は背景にある。事実、家族がいまも東京に転出して今回の事故の広報対応の職種に配置換えになったと言っていたヒトもあった。口止めされている例もあろうし、自ら周囲をはばかっている例もあろう
ただ、それとは別に。現地で話をいろいろうかがっているうちに、確かに本心から原子力発電所に感謝していた、原子力発電所があったおかげで町が豊かになったことを事実として受認しようとしているヒトもかなりの数いる事をしった。それは心の救済を得るために自分たちの過去の選択を肯定しているのか、あるいは本心からそう思っているのかはわからない。ヒトによるし、本人にもわからないだろう。それが本心かどうかとかそういう次元とは別にそう思っているのだ。おそらくは
あるヒトが言っていた。原発ができたからこのムラは口減らしのために一人子を養子に出す事もなく、冬の出稼ぎに出る事もなく一家が揃って暮らすことができるようになった、と。それは事実なのだろう。そしていま別の事実として、ばらばらに避難をして先行きの見えない生活を皆が強いられている。10年後、原発によって離散を免れた世代と、原発によって離散した世代が並び立つ日がくる
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on 2011年12月11日, 11:34 AM,
by dannna_o,