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この間オババ@徒歩十分に「まだエスペラント話せるのか?」と訊いてみたら、「そんなもんわからんよ。戦後ずっと回りにはなせるヒトがいなかったんだから話せるかなんてわからん。話せるっていう時には意味が通じなきゃ話せるってことにならないだろ。話し相手がいないのに一人でエスペラントしゃべってたってそんなのキチガイとおんなじじゃんか。だからわからん。まぁ話せるヒトがいて話してればすぐに思い出すと思うけどね」と言っていた。
考えてみれば英語を覚えれば即それが明日の米に結びついた時代にわざわざ英語じゃなくてエスペラントを学んだという辺りにうちのババァの偏屈ぶりが表れているように思う。親父は流れ者だったけど浮き草という形式を持っていたという意味で世間に溶け込んでいたわけだが、むしろオババのほうが異端だな。おそらく。

親父曰く。

儲からないことから手を付けろ。
儲からないことは絶対に他人にやらせるな。

変な躾けするなよな。まったく

孤独について書こうと思う。このことについては長くなるので何度かに分かれると思う。

母は「私は孤独だよ」という。「孤独だからいいんだ」と。
母はいつでも人気者で年中「オオタカさんオオタカさん」と呼ばれて方々に担ぎだされている。

私は独りで裸で生まれてきて死ぬ時も独りで死んでいくんだよ。まぁ死ぬ時は服くらいは来ていたいと思うけどさぁ。そういう独りの人間として生きているから呼ばれればどこへでもハイハイと行けるし。誰とでも仲良くつきあえるんだよ。これがもし誰彼は友達だけど別のヒトはそうじゃないなんて言うようになってごらん。友達じゃないヒトが困っている時に、自分が何かしてあげられると思っても周りの目をはばかって助けてあげられないかもしれないじゃないか。私は孤独だからそういう時でも迷わず面倒を見てあげられるし、用が済めばじゃぁネっていって帰ってくればそれでいいんだから。これでもし私が仲良しグループみたいなものに入っていたりしたらね。なかなかそういうことはしにくいもんなんだよ。だから私は孤独でいいし孤独がいいんだよ。孤独でいれば仲良しでないヒトとも丁寧に裸でつきあえるんだから。だからお前も一生孤独でいなさい。誰とでも仲良くできるように

そういって育てられた。まぁ大意としてだが。

自分からみてね。自分にとってああだこうだとかそんなことだけで世の中を小さく区切ってけちを付けるようなヒトいっぱい居るだろ。あれはみんな孤独でいられないヒト。誰彼はいい人とかさ。大体いい人としか友達になれないなんて言ったらつまりは友達を損得勘定で選んでいるってことだろう。それは貧しいことなんだよ。そりゃ人間だからさ、相手のいうことが気に入らないこともあるし腹の立つこともあるさ。だからって言ってもうその人とつきあわないなんて言ってたら最後には誰とも話もできなくなっちゃうだろ。そうならないためにはフンて言ってその場はさっさと帰ってくればいいんだよ。孤独でいればそうなっても大丈夫なんだから。自分以外はみんな他人と思うんだ。そう思っていれば他人でもみんな同じに大事にできるだろう。「友達」なんてものを作るから、友達じゃないヒトとの付き合いができなくなるんだよ。みんな同じ他人と思っていればみんなに丁寧にできる。そういうもんなんだよ。

この辺りの考え方は母の師である後藤静香翁によるところも大きいのだが、躾として、あるいは詛いとして俺自身もその影響を強く受けてはいる。

私は孤独だから何も怖くないし、誰も恨まない。あんたの親父みたいなねあぁいうヒトとでも平気でつきあえるんだよ。あんたの親父も孤独だし。それでいいの。

そういって今日も母は他人に囲まれて仲良く働いたり踊ったり歌ったりしながら過ごしている。
続きは気が向いた時にまた書く。そろそろパッキングして出る。